Monday, November 4, 2013
落ちるときは奈落の底
迷いが出るとき、奈落の底に突き落とされたように深くまで落ちる。
悲しいとか寂しいとか そんな言葉じゃ表現しきれないほどの、色々な色が混じった黒。
どっちへ行けばいいのか、標識が見えなくて
いやだいやだ、たすけてたすけて っともがいて、苦しむ。
夜はその恐怖をますます大きくさせて、ついには眠れなくなる。
電気をつけると少し落ち着く。
どうすればいいのだろう、これでいいのだろうか、私は間違ってたのかしら。
そう思っていると、劣等感に包み込まれて破れなかった時期の気分が蘇ってきた。
沈み込む私、浮き上がりつつあると思ったらまた重しをつけられて沈められた様な気分だった。
よし、今日は元気だ。
と思っても数時間後には落ち込む 『フェイント元気ちゃん』がやってくる。
そして、心配をかける。お騒がせする。
次第に、おかしいのかな? と思ったり。
でも、自分はずっとこうだったし...。 と思ったり。
いつも元気でハキハキしてて、涙を見せず、笑っているのが良いの?と思ったり。
泣くことはネガティブで、笑うことはポジティブなの?
そんな小さな、大きな疑問が生まれる。
***
少し前のある日、バスに乗って福岡市内まで出かけた。
隣におばさんが座った。
バス停で同じになって、バスが来るとか来ないとか、遅れているねとか言う話をしたおばさんだった。
なんとなく気になるなぁ と思っていた。
するとおばさんが、何かの会報を取り出して読み始めた。
2つあって、一つを 『ねぇ、これ興味あるかしら?』と私に手渡してくれた。
「ひきこもるのは、まともだから」
という見出しで、私は頷いて会報を手にした。
全国不登校新聞のFonteという会報で、山田玲司さんという漫画家のインタビュー記事が特集だった。
一部抜粋させていただきます。
日本という国のメンタリティや環境を見ると、人の頭がおかしくなっちゃうようなシステムなんです。
(中略)
1日80人もの人が自殺しているのは、決してその人の心が弱いからではありません。むしろこういう社会の歪みを感じて、ひきこもったり、学校にいかなくなったり、言葉が出なくなったり、食べられなくなったり、体でその反応している方が俺はまともだと感じます。(Fonte 370号 2013.9.15発行より)
彼のインタビューを読んでいて、私はバスの中で鼻をすするほど泣いた。
化粧は落ちた(苦笑)。
おばさんがこちらを向いた時、あらあらという感じで、『何かあった?』としばらく話をした。
毒をすべて抜いてくれたような涙だった。
いろーんな疑問についてのヒントも書かれていたようにも思った。
その後、天神についてからとても身体が軽かった。
おじさんが話しかけてきた。
『道どこかわからなくって... おしえてもらえるかねぇ』
いいよ!!!!
話しかけてきてくれてありがとうと思った。
**
とても小さなことのような、大きな出来事だった。
見も知らぬ人に助けてもらったなぁと感じられた。
見も知らぬ人、けれども知っている人のように思えた。
素晴らしい経験だった。
道標のようなもの、大丈夫だよのサインをきちんと見つけることができたなぁって。
そして自分が行くべき道にまた戻ったような。
迷子だったのかもなぁ。
ありがとう。
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